日本人の祖先はインドネシアのDNAであることが判明です

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一九八八年に埼玉県浦和市で人の頭骨が発掘された。形質人類学の専門家がみると縄文人骨らしいのだが、この頭骨の一部分をくり抜いてタンパク質のコラーゲンを抽出して年代測定した結果、約五九〇〇年前(縄文時代前期)という結果が得られた。そこで、この年代測定と平行して、PCR法を利用してこのくり抜いた部分からミトコンドリアDNAを取り出し、塩基配列を解読することを試みることにした。

ただ、いきなり縄文時代の人骨を分析したのではなく、まず解剖学教室から分与された昭和初期の人骨、江戸時代人、近世アイヌ、古墳時代人と、いろいろな時代にさかのぼって予備的な実験を行ってきた。そしてフロリダのミイラと同じように古人骨からも、うまくやればミトコンドリアDNAを増幅して配列が解読できることがだんだん明らかになったので、浦和の人骨(浦和一号)も調べてみることにしたのである。

まず一グラムほどの骨片の表面をきれいに洗浄して細かく砕き、薄い塩酸で脱灰処理をしてカルシウムを溶解する。定法どおりタンパク質を除去して、いろいろな濃縮過程を経て最終的にDNAを抽出した。

こうしてさまざまな年代から得られた古人骨からの抽出液で、PCR法による増幅を試みた。DNAがまったく増幅されない場合もあったが、それは骨の保存状態によるものらしい。骨の保存状態が悪ければ、DNAの増幅は難しいのである。しかし、分析を試みた人骨の中で最も古い頭骨、浦和一号から抽出したDNAを増幅することには成功し、DNAの塩基配列を決定することができた。

DNAの増幅に成功したミトコンドリアDNAの二三三塩基の断片は、現代人の比較分析に用いた四八二塩基の領域に完全に含まれている。このうち塩基配列を決定できた浦和一号の一九〇塩基の領域について、一二一人の現代人の配列と比較してみた(表3)。その結果、浦和一号の配列は、日本人以外のアジア人二九人中、東南アジア人二人(マレーシア人とインドネシア人)とまったく同じということが明らかとなったが、六二人の現代日本人の中には完全に一致するものは観察されなかった。日本人のなかで浦和一号との違いが少なかった例を上げると、一ヵ所のみ変異が観察されたものが一五人、二ヵ所に観察されたものが八人であった。

*日本人以外のアジア人で完全一致(置換数0)を示したのは東南アジアのマレーシア人とインドネシア人の2人。

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ここで注目すべきことは、この短い領域において浦和一号と三ヵ所から最高八ヵ所の違いが観察された日本人が三九人もいるということである。これらの結果から、約六〇〇〇年前に日本列島の中心部(現在の埼玉県)に住んでいた縄文人は、現代の東南アジア人と共通の起源を持つという可能性が示唆される。さらに六二人の現代日本人との比較では、一九〇塩基対の領域でわずか一ヵ所あるいは二ヵ所のみ変異の観察されたものが三分の一は存在したものの、同じ配列を示したものはまったく存在しないという、注目に値すべき結果が得られたのであった。

DNA情報の別の研究から日本人の中に少なくとも二つのグループ(グループI、グループII)が存在するということが明らかになっている。今回、塩基配列の解読に成功した日本人の遠い祖先と考えられる縄文人骨・浦和一号は、系統樹上の位置づけから、現代日本人に存在するグループのひとつであるグループIIに含まれることがわかっている。

宝来聰著「DNA人類進化学」(岩波科学ライブラリー52)より引用

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